2005年4月17日

今日ドイツでは、ベルゲンベルゼン、ラーベンスブリュック、ザクセンハウゼンの3つの強制収容所の跡の追悼施設で、解放60周年の追悼式典が行われ、ドイツの政治家たちは改めてナチス時代の過去と対決する姿勢を表明しました。この式典を伝えるニュースのすぐ後に、中国で再び政府公認の反日デモが行われ、日中政府間の意見の対立が尖鋭化していることが、報道されています。

理由がどうであれ、日本の在外公館や商店が暴徒の攻撃を受けているのを、中国の官憲が制止せず、それに対して中国政府が謝ることを拒否するというのは、国際法の観点から見ても異常事態であり、中国は無法地帯化していると言っても過言ではありません。日本、中国とも一刻も早く理性的に交渉ができるような状態を作り上げるべきではないでしょうか。

この態度に、経済的に重要な地位を占めつつある中国の、国力に対する過信が現われてはいないでしょうか。

日本政府が反論をしないために、ドイツのマスコミは中国側の「日本政府は、日本軍の残虐行為を瑣末なことと扱う教科書を検定で許可している」という言い分を、ことさら強調する結果となっています。

日本政府は欧米にも見える形で、一刻も早く反論するべきです。国際社会では言われたら、言い返さなければ、非を認めたことになります。

日本では「いつまで謝罪すればいいのだ」という声があります。ドイツの場合は謝罪や賠償金の支払いだけではなく、今もナチスの戦犯追及が行われていること(戦争犯罪を含む悪質な殺人には時効がありません)や、学校教育を通じてドイツが加害者だったこと、ドイツが各国に与えた被害の細部にわたって、若い世代に語り継いでいくという姿勢が、周辺国やイスラエルの共感を得ているのです。

私は1989年にNHKスペシャル「過ぎ去らない過去」という番組の取材をドイツとポーランドで3ヶ月行った際に、ドイツ・ポーランド教科書会議など、両国がお互いにとって受け入れられる教科書の内容を、協議によって作り上げていたこと、そしてドイツの教科書がいかにナチスによる戦争被害を詳しく取り上げているかを、学びました。「ドイツの子どもは、祖国の名の下におかされた犯罪の、これだけむごい内容を学ばなければならないのか」と、驚いた記憶があります。

それに比べると、日本の歴史教科書のなんとおとなしいこと。私は、「人間が人間に対して狼になりうること」を学ぶ材料を、子どもたちが学校で提供されることは、重要であると思いました。「自国の歴史に批判的になればなるほど、他国との関係を良くすることができる」という、89年にインタビューしたヴィリー・ブラント元首相の言葉を今も覚えています。